iPod Touchで書道(iShodo)

ペンタブレットを使ったら実用になるんぢゃないか?と書いたプリントマジックの達筆機能。

ペンタブレットではなくて、iPod TouchやiPhoneのようなタッチインターフェースのあるもので動かしてもいいかもね。。。。。

と思っていたら、今度は別のソフトベンダーからそのTouch/iPhone向けに「iShodo」。iTunesのAppStoreで115円だす。開発元のユビキュタスって、最初は任天堂のDSi用にWiFiモジュールとTCP/IPプロトコルスタック書いてたところだっけ。

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アプリの詳細はサイトを見ていただくとして。作品をネットに投稿できるのは以前紹介したAir書道と同じ。

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ちゃんと墨と硯、それに水滴まで置いてあるけど、インタラクティブに操作できる訳ではないのであまり面白くない。有料β版っぽい仕上がり。

はやりのTwitterに連携させて、「筆でなにか一筆嘆く」→「ネットに投稿する」→「Twitterで告知」→「Twitterでフォローしてる誰かに嘆きを『見て』貰う」という余り生産性のないソーシャル(笑)が可能。ソーシャルに価値なんか求めちゃいけないっか。

あ、そうそうiShodoの優れている(?)ところは筆で書いているとちゃんと墨が薄くなるのですよ。かすれていくというのではなくて、どんどん淡墨になっていくというところがアンリアルですけど(どこから水が湧いてくるのかというツッコミはなし)。渇筆まで再現できるようになったら、半紙要らなくなるかも知れない(ナイナイ)。

指で書いていると指圧をうまく筆のタッチに反映させてはいるなと思いました。ソーシャルネットワークとはなにも関係ない技術応用だけど。いや、いまの世の中なにが大化けするかは分からないぞ~

手書き毛筆生成アプリ

なんと「王義之」モードまである達筆(!)っぽい文字を生成してくれるソフト。PrintMagic


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ちょっとやってみた。マウスを使う人ではないので、なんとノートPCのタッチパッドから。これで字形はおろか直線をなぞるなんてこと自体がそもそもムリ!なのだが。

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こんな調子。ペンタブレットで入力したら結構使えるんぢゃないかなあ。

AdobeのAirアプリケーションでAir環境をインストールする必要があるところは以前紹介したAir書道と同じ。


これは見ておいても損がないだろう。。。

これ1枚でも見ておいて損はないだろう、と思った。

楊煇による墨梅図。



元の時代にあって、この完成度。空間。季節感。感情。

「シアトル美術館所蔵 日本・東洋美術名品展」全般はやはり日本美術が中心だったが、後半の一部が中国美術、韓国美術、アジアに割かれていて、その中にあった作品。

変な習慣

硯の上で乾いた墨の色を見る、というのはあまりしないらしい。

顔料としての墨の色合いを見るには(比較のしやすさでは)いいと思うのだが。

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例えばこの硯の上のシミを見ると、全部で4つの墨の色を乾いた状態で比較しているわけだけど、4つのうち1つだけ大きく色合いが違うことがわかる。同じ黒なのに。

(ちなみに一番上が文革期、真ん中が清末くらい(たぶん)の徴墨、下の左が道光時代のブ源、その右が近作ではあるが古法に倣う徴墨)。

どれが良いのかは好みもあるでしょう。水墨にするのか書にするのかにもよるし、紙だ何だにも(略)。

勿論、光の質や強さ明るさでも様々に変化する。

好みの色を見たかったら光を変えてみることもある。窓の近くで見たりとか。電球色のライトの方が良いとか。

時々、白いタイルの上でやってみる。煤の黒さがよくわかる。蒔絵で漆を色素と混ぜたり、溶媒で溶いたりするのに白いタイルを使う習慣からかも知れないが。

水墨をやるひとならともかく書道ではあまり白いタイルとか絵皿は出てこないらしい。

たしかに書道用品店で白いタイルを売っているのは見たことない!
 

民国期?兼毫筆

冨美堂の新春初売セットに入っていた兼毫筆。

無銘なので出生については想像するしか。

いやだからこそ格安で手に入れられたワケで。

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無銘の筆が多くあったという理由は簡単。昔は筆どころか自動車までもがみんなSPA、つまり作っているところで売っていたから。それに実用品にいちいちブランドなんか付けていられない。ブランド価値が重視されていた時代でも、そんなものに一目置く消費者たちでもなかったから。真に無印良品。そもそも「生産者」「流通」「消費者」などという分担すらも生活者の目には希薄だったろう。これらの分類は経済学者が後義的に生み出したもの。消費経済的な分析とは軸が違うけれども、書家が墨作りに関わっていたりとか、筆職人に指示を出したりとかよくあったらしい。書家も道具を使いこなす職人の一部であった訳ですな。

みなが生活に必要なモノを実直に黙々と作って店先で売っていた時代。

中味がないものに名前(ブランド)だけ付ければ結構いいオネダンで売れる時代に生まれた自分たちは見分けることもなく通り過ぎてしまったものが沢山あったに違いない。
 
だからこそ、こういった見逃されてしまう存在にいまなお一目を置くことが出来る目利きの存在意義は大きい。